肺は港町である
院長は、肺のアレルギー・免疫疾患の臨床と研究に長年携わってきました。
全身の色々な臓器の中でも、特に肺に対しては特別な思い入れがあり、肺という臓器を考える時、いつも個人的に抱くイメージがあります。それは、「肺は港町である」ということです。ご存知のように、肺は、上気道を通じて、外の世界と直接繋がっています。さらに、血液を介して、全身の臓器とも密接に関係しています。肺に空気中から、あるいは血液を通して様々な物質が流れ込んで来るさまは、あたかも港町に、海から陸から様々な物資が調達される様子に似ています。その中には、有益な品々だけでなく、時には人々に害や仇をなす悪しき品や、密輸品もあるかも知れません。言葉は悪いですが、アレルギーはなぜおきるのかで紹介した「免疫寛容」とは、この多少問題ある品々が入ってくるのを、ある程度「目こぼしする」制度とも言えます。さらに、検疫官・警察官に始まり、酒を売り、中には春を鬻(ひさ)ぐ人まで、硬・軟取り混ぜた様々な職種の人々が行き交う、活気に満ちた、時に猥雑でさえある港町に似て、肺でもおよそ50種類にも及ぶ細胞がそれぞれの機能を発揮し、相互に影響しあっています。しかも、肺での免疫に関与する細胞の中には、その時の局所の環境・状況で、生体を守るべき役割から、逆に傷つける側に転じるものさえあります。例えば、獲得型の免疫に関与するTリンパ球(T細胞)は、様々な種類の細胞から構成されていますが、その中に、アレルギーはなぜ起きるのかでも登場した制御性T細胞: Treg) と、Th17細胞という細胞があります。Tregは過剰なアレルギー・免疫応答を抑える役目を担うのに対して、Th17細胞は、関節リウマチや多発性硬化症などの自己免疫疾患の発症に関与すると考えられています。通常はこの二つの種類の細胞は、いわば善玉と悪役とに分かれていますが、病変局所の条件(微小環境)によっては、この両者が入れ替わる、即ちTregがTh17に、Th17がTregに形質転換する可能性さえ考えられています。まるで、これまで正義の味方だった、頼もしい警察官が、突然何かのきっかけで悪の権化に豹変するようなものです。病変局所の微小環境を人為的に制御するのは至難の業と言えるので、アレルギー・免疫の関与した肺の病気を、外から薬剤で制御・治療することには時に困難を伴います。肺での免疫反応を抑えるために投与した薬が、かえって肺にひどい炎症を引き起こすこともあります。一方で、純粋に学問的な興味として言わせて頂ければ、逆にこのような、複雑で混沌としたところが肺という臓器の大きな魅力でもあります。

